“エンタの神様”なる番組がある。
私は若かりし頃,舞台俳優を志望していて,アマチュアの劇団に所属していた。
そこでどういうわけだか3枚目の役をやることが多く,いわゆるネタづくりに精を出していた。
だから,といってはなんだが,視聴者という視点プラス,作り手という視点も無意識のうちに入り込んでしまう。
そこで“エンタ”の批評をする。
結論を先にいうと,あれでは芸人が育たない。
経験からいうと,大抵の芸人さんは売れたがっている。そして,私が現役でいたときもメジャーになりたかった人は多かったが,今はさらにさらに多くなっている。
その上,大抵の芸人さんはビンボーで,私の友人たちは工事現場の旗振りをしながら芝居を続けていた。
つまり,“売れる”とは“食える”ということで,マズローの欲求階層を引き合いに出すまでもなく,人間としてのベーシックな欲求に近いものがあるのだ。
しかし,“エンタ”が示した売れるためのモデルは,2分間という尺(しゃく)に収まるキャラだけの,芸と呼ぶには程遠いものだった。
このモデルについて,私は2点問題があると考えている。
1点目は,売れたい芸人たちが一発芸に走るということである。
これはプロだかアマだかの境目が無いほど,最近の芸が大学のコンパネタみたいな“子ども騙し”になっていることによって示される。
小島よしおはその典型である。
ある一定の時間的な長さを持つ“話芸”を磨くよりも,2分で視聴者にインパクトを与える瞬間芸を磨くことの方が“売れる”ためには有効であるから,笑いの文化としては質が確実に落ちる。
2つ目の問題点は,テレビが持つモデリング効果である。言い換えれば,子どもに「こういうのが“面白い”っていうことなんだよ~」という教育効果である。
かつて小室哲哉が“小室ファミリー”などという一群の人々を形成していた頃,青少年の中に小室的な音楽が刷り込まれていって,小室が曲を出せば必ず売れるという現象を生み出していたことと比較される。
これは小室哲哉と坂本龍一の対談の中で,坂本龍一の娘が小室フリークになってしまったことを坂本が述べていた。
“面白い”=“エンタ”という刷り込みが子どもの間に起こっていることは,子どもの臨床に関わるものとしての実感としてある。
だから余計に恐ろしく思うのである。
ここまで書くと,「ただ単に,お前がエンタを面白くないと思っているだけなんちゃうん?」と思われると嫌なので明らかにしておくが,思わず笑ってしまうこともある。(滅多にないけど…)
それよりも,今挙げた2つの問題点を憂えてしまうのは私だけだろうか…。