« 2007年11月 | トップページ | 2008年2月 »

2007年12月

2007年のM-1について~吉本興業の見えざる手~

サンドウィッチマンが優勝したが非常に妥当な評価だと思う。

漫才って“話芸”ですから,無名か有名かではなくて,おもろいかおもろくないかでしょう。

ただ,いくつかの掲示板では,キングコングが優勝だと思ったなどという意見が散見される。

たぶんキングコングはメディアの露出が多いので,特に若い世代の子の評価にバイアスがかかっているのである。

以前に書いた,“エンタが笑いを破壊した”で示したように,メディアの刷り込みというか教育効果の賜物である。

純粋にサンドウィッチマンの方が“相対的”に面白かった。

危惧されるのは,YouTubeやYahoo!動画などで彼らのネタを見まくったが,ネタの構成はキャラが違うだけで基本的に同じである。

だから間違いなく直ぐに飽きられてしまうことが予想される。

掲示板で誰かが書いていたけれども,近年ではブラックマヨネーズに次ぐ面白い漫才であったと思う。

他の優勝者は,何か吉本興業の“見えざる手”がちらほら感じられる…

しかし,決勝の第2ラウンドの3組以外まったく面白くなかった。

もっと面白い芸人さんがいると思うのだが…

これも吉本の見えざる手か…

|

ダウンロード違法化を賛成する理由

著作権のあるものを作者に無断でアップロードすることは違法であったが,現在,ダウンロードする側も違法にしようという議論がある。

「私的録音録画小委員会」(文化庁長官の諮問機関・文化審議会著作権分科会内)で、「著作者に無許諾で動画や音楽をアップロードしたサイト(以下「違法サイト」)からのダウンロード」を、著作権法30条で認められた「私的使用」の範囲から外し、「違法サイトと知ってダウンロードした場合は違法とする」という方向性がまとまった。(ITmedia)12月19日配信

「インターネット先進ユーザーの会」が反対署名の呼びかけを行って,多数のパブリックコメントを集めたみたいだが,ちょっと待てよ,と思う。

確かに気づかずにダウンロードしたらユーザーの不利益などという考え方もあるが,アップロードする側を特定できなかったり,いたちごっこになってしまったりしている現状では,出口側を規制するという方法も有効なのではないかと考えられる。

言い換えれば,意図するしないに関わらず,違法データをダウンロードする存在がいるから,アップロードをする人がいるともいえる。

自動車の暴走行為に声援を送るだけで規制の対象になる法律がある。

神奈川県暴走族等の追放の促進に関する条例
(暴走行為を助長する行為の禁止)
第 15条 何人も、次に掲げる行為を行ってはならない。
(1)  暴走行為を行うように少年を勧誘し、又はこれに強制すること。
(2)  暴走行為を行い、又は見物する目的で公共の場所に集合した場合において、現に暴走行為を行い、又はまさに行おうとしている者に対し、声援、拍手、手振り、身振り又は旗、のぼりその他これらに類する物を振ることにより、当該暴走行為をあおること。

今回の理屈でいえば,自分はバイクで暴走行為をしているわけではないのだから,違法になる理由はないってことになる。

だけど,オーディエンスは間接的に影響を与えているのだから,第一当事者ではないから責任が無いというのは物を単純化して考えすぎていると思う。

だから,何がしかの規制をおこなって,著作権の侵害を防ぐ必要があるのではないかと思う。

確かに様々な問題は生じる。だけれども,制作者より圧倒的に人数の多い消費者の観点から強弁するのは暴力に近い。

家族療法ではないが,直線的な因果律ではなくて円環的な因果律で考えると,ダウンロード違法化も選択肢の一つになり得るじゃないか,と思うのだった。

|

隣人が銃を磨いているかもしれない恐怖

佐世保の銃乱射事件の話である。

警察庁の資料によれば平成18年度の銃器を用いた殺人事件は23件,強盗事件は111件,猟銃およびライフル銃を用いた殺人事件は7件あった。

これに暴発事故を含めるとかなりの数に上る。

銃社会のアメリカとは違い,簡単に銃が持てないといわれている日本だが,警察に申請を出せば一定の審査の後,合法的に所持することができるのは周知の事実である。

では,実際にどのくらいの銃が日本中に出回っているのだろうか。

インターネットで調べてもなかなかデータが集まらない

先日,ラジオを聴いていたら愛媛県の数が明らかになった。

愛媛県1県で銃刀法によって銃を持つことを許可されている人数は約3000人強いる。実際のライフル,猟銃,空気銃は約6000丁を超える。

つまり,47都道府県のうち,愛媛県だけもそれだけの銃器があるということである。不法所持の数も含めると日本全国の総数はどんだけ~っていう事態である。〔追記:約33万丁と判明2007.12.17〕。

思うに,近所の人が銃を持つということは,暴発事故も含めて地域の生活安全に関わる。

所持を許可する警察はどれだけ申請者個人の情報をもっているのだろうか。

次に銃刀法について私の考えと提言をおこなう。

①市町村単位で,現在銃器を所持している住民の氏名と所持している銃器の種類を明らかにする。

②新規の申請に対して,近隣住民のヒアリングを十分におこなう。

①について。個人情報云々を言い出すかもしれないが,そもそも狩猟やスポーツに用いる銃であるならば隠す理由はない。また近隣トラブルが発生している事案の場合,その関係者に銃器所持の有無が明らかになれば,不測の事態を避けられる。

②について。隣人の銃器所持は地域の生活安全に関わるものである。したがって,地域としてある個人に銃の所持を認めるか否かを判断させるべきである。今回の佐世保の事件では近隣住民が,警察に抗議に行ったとされる。つまり,警察は銃の所持の許可を判断するだけの情報が不足しているのかも知れない。

亡くなられたお二人の方のご冥福と,被害にあわれた方々にお見舞いを申し上げます。

|

“提訴:「懲戒免は重すぎる」 飲酒運転の教諭、処分取り消し求める--地裁 /佐賀”を考える

12月14日16時1分配信の毎日新聞に次のような記事がある。

飲酒運転をしたとして昨年7月に懲戒免職処分を受けた県立高の元男性教諭が「処分は重すぎる」として、県に処分の取り消しを求める訴えを佐賀地裁に起こしていたことが13日、分かった。

彼の言い分は,アルコールの検出量が少ないのと,事故を起こしていないことを論拠にしている。

私はそんなのは往生際が悪すぎると思う。

検出量云々ではなくて,アルコールを口にしてハンドルを握ること自体がご法度だ。

県の規定で飲酒運転は無条件で厳罰というのは,佐賀に限ったことではない。全国的な“常識”である。

代行が呼べないほど田舎なのだという言い訳も,言い訳にならない。そんなのは飲み会を開く前からわかることである。

ただ公務員が飲酒運転でクビなのは当然という悪意に満ちた風潮には断固として反対したい。

それは私が公務員の一員であるという感情的な側面もある。

しかし,それ以上に,悪者探し&叩きをしても何の進歩もないからである。

家族療法に限らず,社会構造主義を踏まえたセラピーでは当然の考え方で,直線的な因果律だけでは問題は解決しないのである。

この悪者探し&叩きに見られる直線的な思考は実に短絡的な思考に基づいており,事態を単純化して考える無邪気な思考の最たるものである。

「こんな教師が~」という批判がYahoo!のクリックサーチのコメントに散見されるが,これも無意味な批判である。

話は飛ぶが,教育問題の原因に教師の資質の低下をもってくる方が多いが,これもなんの根拠もない“印象”で語られた批判である。

昔だって教え子に手を出したりする不届きなセンセイはいた。

だから別にどうってことはないんだ,と言いたい訳ではない。

ただその教師叩きという単純な行為が,“風が吹けば桶屋が儲かる”的な円環的な作用が生じていて,多くの人はその行為の行き着く結果に気づかない。

しかもその行為を嗜癖(アディクション)的にやめることができない。

それは権威を引き摺り下ろす快感とか,勧善懲悪的な正義感を伴なっているからかもしれない。

いじめもそうであるが,表面的な正しさを持っていると,行為の残忍性に気づかないでエスカレートしてしまう。

マスコミの“食品偽装会社叩き”がいい例である。

一部の不届きな公務員を公務員の体質,あるいは公務員の全体と決め付けて,彼ら(私たち)を傷つけることで,自尊感情は低下するし,新たなストレッサー(ストレスの原因)を生むし,結果として公務員の仕事の質が低下して,国民・住民へのサービスが低下する。

教師に限っていえば,教師の権威を引き摺り下ろすことで子どもが言うことを聞かなくなって(つまり子どもへの影響が低下して),教育効果は確実に低下する。そして子どもの学力が低下する。

学力が低下すると子どもは学校が面白くないから,友だちをいじめたり陥れたりして暇つぶしをするようになる。

そうすると教室の雰囲気が悪くなるから,デリケートな子どもは学校へ行かなくなる。学校へ行かなくなると,家にいるしかないから,そのうち引きこもりになる。

ひきこもりになると暇になるから,ろくでもないことをするようになる。また,社会から遠ざかっている分,人と関わる力がつかないので,大検とかをとって社会に復帰しても仕事が長く続かなかったりして,再びひきこもったりする。

などという決め付けはまったくの誤りであるが,部分的に頷けるところもあるだろう。

マスメディアの発達によって今まで知られていなかった全国の問題教師が,社会に広く知れ渡ったという事実がある。

それによって大多数の真面目でひたむきな教師まで,問題教師たちと同じレベルにまでディスカウントしてしまったことで,結果としてそのマイナス効果は自分達(社会一般)にも降りかかっていることに気づくべきなのである。

すべての物事には原因と結果があるわけではない。

無数の要因が複雑に絡み合って,相互作用して成り立っている。

そのもつれた糸を単純に挟みでぶった切るようなものの考え方は,危険だし意味がない。

電磁石を作るときには,冷静に丁寧にコイルを巻くに限る。一度こんがらかったら焦らず丁寧に,根気よくほぐすしかない。

いらいらしてしまったら,余計に事態は悪くなるものである。


話があさっての方へ進んでいるので戻す。

ともかく,飲んだら乗るな。飲酒運転で何人が悲しい思いをしているのだ。

公務員に限らず民間企業ですら飲酒運転はクビの時代。

佐賀の元先生,教師としてとか,公務員としてとかではなくて,人間として恥ずかしいから提訴を取り下げてください。

|

“携帯使う小学生は優秀 塾通いで持たされるから?”の真実

産経新聞12月14日8時1分配信の記事に,東京都教委が平成19年度全国学力・学習状況調査と携帯電話の使用との相関を調査した結果が載せてある。

携帯電話での通話やメールを「ほぼ毎日している」児童と、携帯電話を「持っていない」児童の平均正答率を比較すると、国語A・算数A(知識問題)、国語B・算数B(知識の活用問題)の4種類の学力調査すべで、「ほぼ毎日している」児童の正答率が、0・5~3%も高かった。

ただし、中学3年生でみると、「持っていない」生徒の平均正答率が「ほぼ毎日している」生徒よりも、0・9%~6・2%も高かった。指導部は「中学になると携帯を持つ人が増える上、遊びで使うようになる傾向にあるのではないか」と推測している。

この調査には大きな落とし穴がある。つまり,東京都の場合,小学校でお勉強のできる子はお受験をして私立の中学校へ行く。そしてその私立の中学校の約8割は今回の学力調査に参加していない。

つまり,お受験の子たちが親との連絡用に携帯を持っていて,それらの子たちは中学校の調査対象には含まれてはいなくて,お受験をしないフツーの小学生のご家庭で,遊ぶ目的なのにあれやこれやと子どもに丸め込まれて,携帯を購入させられた“理解のある”親御さんのご子息・ご息女が,中学校における携帯所持の調査対象者のほとんどであることが推察される。

だから,当然といえば当然の結果なのである。

言うまでもないが,携帯を持っているから優秀な訳ではない。

言い換えれば,お受験用の進学塾へ通っているということの代弁なのだ。

そこら辺をご理解いただいて,口の達者な子どもに丸め込まれないようにしてもらいたい。

|

「偽」…今年の漢字の感じ

今年の漢字は「偽」だそうで,清水寺の坊さんは「同じ日本人として恥ずかしい」とおっしゃった。

果たしてそうだろうか。

私はむしろいろんなものが“まやかし”(偽)だったということが,明らかになったという意味で,今年の漢字は“真”の意味に近いと思う。

だって偽装なんて今日や昨日に始まったわけではなくて,大昔からず~~~~~~っとあって,それが明らかになったというだけだと思う。

「恥ずかしい」というより,私は「同じ日本人として誇らしい」と思う。

だって,偽りであることを隠蔽して,安穏としている方が幸せなんですか?と問いたい。

それこそ“偽”ではありませんか。

いろんなものの化けの皮がはがれてきたけど,これを世の中が回っていく上での“誤差”(≒必要悪,致し方の無いこと)として考えるのか,それとも乗り越えていくべき“課題”なのかは議論の余地がある。

私的にはその両方が含まれていると思うので,ケースバイケースであると思うが,今のように断罪して喜んでいるうちは(少なくとも私はそのようにしか見えない…),前に進めないのではないかと思う。

例えば,船場吉兆の問題などは食品の偽装という問題に限らず,様々な問題を社会に提起していると思う。だから,船場吉兆という企業だけの問題ではなくて,社会を構成する私たち一人ひとりの責任だって少なからずある。

それを偏に船場吉兆だけを悪者にしているうちは,社会としての進歩がない。

つまり,さっきの“課題”と“誤差”の理屈でいうと,数々の食品偽装は社会が乗り越えていくべき“課題”なのだけれども,それを引き起こしている会社個々は“誤差”なのであって,“誤差”だけに目を奪われていては,社会における人間の思考は停止したままなのだという認識がないといけない。

会社の“モラル”ではなくて何らかの“システム”として偽装をおこなえないようにする工夫が必要なのではないだろうか。

いずれにしても“偽”であることが明らかになったことは実にめでたいことである。

そうでなければ,偽りの幸せを享受し続けていただろうからである。

それこそ「同じ日本人として恥ずかしい」

|

橋下氏が出馬表明だって…

間違いなく当選するだろうケド,役人とか議員はなかなかどうして手ごわいものである。

役人やら議員の中に橋下さんと通じている人がいないとまずもって行政が変わることは無い。

首長の威勢だけで行政が変わった試しはない。

仕掛けが必要なのである。

残念ながら橋下さんにそういう海千山千の方々を動かすほどの才覚があるとは到底思えない。

タレント知事として,いい思い出は作れるのではなかろうか。

しかし,以前の記事にも書いたが,何か選挙がただの人気投票みたいになっている。

“この府民にして,この知事あり”になってしまうのか…

|

うまいラーメンランキングの嘘

日本人は番付好きな国民だそうで,ラーメンのランキングというのもYahoo!に限らずあっちゃこっちゃで見受けられる。

しかし,大抵のランキングはあてにならない。

ランキングをもとにラーメン店を巡ったが,ほとんどが残念な結果に終わった。

なぜランキングがあてにならないのかというと,簡単にいえば私がランキングを作っていないからである。他人の舌は私の舌ではないからである。

美味しさに普遍性はあるのかというと,あるといえばあるし,ないといえばない。細かい説明は面倒くさいし,読む気もしないだろうから書かない。

栄養学で言われている事実として,“脂質と糖分は味覚を狂わす”というものがある。

つまり,脂っこいと“美味しい”と舌が認識してしまう。

それと“効用逓減の法則”みたいのが味覚にも当てはまって,普段,味の濃い食生活をしていると,日本料理のようなデリケートな味覚を認識することができず,“味が薄い”としか思えなくなってしまう。

これはタバコをやめた人がご飯を美味しく感じるのと同じ理屈である。

若者と肉体労働者の舌はあてにならない,というのが私の持論である。

若者は味覚が発達していないから,普段から味覚刺激の強い食生活をしているし,肉体労働者は失った塩分を補うために,普段から塩分の強い食物を口にすることが多いからである。

本当に美味しいラーメンランキングは,対象を限定してもらいたい。

例えば,“30代の男性が選んだラーメンランキング”とか,“40代の女性が選んだラーメンランキング”とかである。

私はたぶん,自分の年齢のカテゴリーに関係なく,50代の男性が選んだ…とかをチョイスして,その店にいくことだろう。

私向けの美味しいラーメンランキングを載せるが,たぶん私にしか参考にならないので,自分が食べてまずいと思ったからといって不快に思わないようにしてもらいたい。

心理屋さんが選んだ美味しいラーメンランキング

1位 とら食堂(福島)

2位 一番・胤暢番(東京)

3位 けやき(北海道)

4位 長浜屋(福岡)

5位 春木屋(東京)

番外編 こむらさき(熊本),ふく利(徳島),寺田家(千葉)

|

年金の名寄せ約1945万件できず…

公的年金の名寄せの件である。

まぁ,予想通りであったわけだが,厚生労働大臣が辞めるとか辞めないとか,そんなことはどうでもいいことだと思う。

名寄せが不可能な約1945万件に該当しそうな人をどのように救うかということと,再発防止にどのような手立てをうつかの2点をまず問題にすべきである。

国民の不幸を政争の具にされてはたまらない。

私自身を調べたところ100%収められていたが,残念ながら嫁さんは6ヶ月の未納があって,年間に満額から約9800円(月にして約800円程度)のマイナスがあるとのことであった。

月に800円くらいと聞いて,それぐらいいっか~と思ったのだが,嫁さんは暫く凹んでいた。

名寄せの件は,まぁ,5000万件なんて絶対名寄せできねぇ~だろう,って思っていたが,舛添さんがあんな感じで言うもんだから,ちょっと期待した部分はあったが,な~んだみたいな“プチがっかり感”は否めない。

発言の責任は責任として,予想される不幸な影響に対して最大限の手立てを講じていただきたいものである。

|

船場吉兆に見る日本の教育

母「頭が真っ白になって…」

息子「頭が真っ白になって…」

いわずと知れた船場吉兆の記者会見での一こま。

創業者の三女である母が息子に耳打ちをする。その耳打ちをそのまま報道陣に伝えるという光景。テレビ朝日は“マザコン会見”などと評した。

私はこの光景に日本の教育が抱える問題を見た気がする。

教育界でよく言われているのが,日本は野球選手型人間を育成してきたが,サッカー型人間を育成していない,という言い方がある。

つまり,高校野球でいうと,バッターボックスの選手は1球ごとにベンチを振り返り,監督の指示を仰いでいる。

今までの教育は指示待ち人間,言われたことを忠実におこなう人間を量産してきた。

逆に独創的なこと(“勝手なこと”)をする人間を,“出る杭は打たれる”とか,“規律を乱すもの”ということで排除してきた。

一方,サッカーでいうところの“決定力不足”は,発想のオリジナリティと思考の柔軟性,リスク・テーキングが日本の子どもたち(大人たちも)に不足していることを示している。

船場吉兆の若だんなも創業者の三女であるお母ちゃんの言いつけどおりに行動していて,自分の責任において意思決定していないことがうかがえる。

そのお母ちゃんですら,報道陣から創業者である父親に話が及ぶと,「(生きていたら)父に叱られる…」などと号泣している。

あなた自身のモラルとか,道徳的な判断,倫理観,責任感はどこにあるのだろう,と思ってしまう。自分の中に父親とは独立した(内面化して自らと一体化した)価値判断と向き合わなきゃいけないんじゃないのかなぁ,と思う。

ともあれ大企業の経営者ですらあのザマなのだから,市井の方々も推して知るべしと言えなくもない。

伝統を守ることと胡坐(あぐら)をかくことは似て非なること。

吉兆はお父さんが作ったものであって,子どもらは“たなぼた”で手に入れたもの。

だからこそ創業者は厳しかったのだろうが,跡を継ぐ者に課せられた当然の課題なのかもしれない。

いずれにしても,失った信用を取り戻すのは大変なこと。

船場吉兆さんには頑張っていただきたいものである。

|

“ゴキブリ揚げ”高校生が自主退学,に思う。

ネットでは「ああ,あの話か」と思われるくらい大きな話題になった,ケン○ッキーでゴキブリを揚げたとのたまった高校生の話である。

ネットのニュースに拠れば,その高校生は「社会的な責任をとる」ということで高校を自主退学したとのことである。

詳しいことはわからないので,明らかになった情報だけで論じることになるが,「社会的責任~」というくだりで私は違和感を感じた。

だって未成年でしょ?学割とかで電車に乗ってるうちは,そんな大仰なことをこくものではない。身の程知らずもいいところである。そういう“勘違いくん”だから,mixiの会員なら誰でも見られるところに“ゴキブリ記事”を書いてイキがってしまうとも言いたくなる。

高校生は「僕が間違っていました。ごめんなさい。ネットなんかにうつつを抜かさず,これからはしっかり勉強します」ぐらい言っとけばいいのである。

あとは,親が学校とかに頭を下げて,「二度とこのようなことが無いように,しっかりしつけいたします。この度は大変お騒がせして申し訳ございませんでした」かなんか言って,ちゃんちゃん~って終わるのがセオリーなのである。

それなのに,かっこつけて「社会的責任~」なんていうのは,かっこだけで実が無い。

確かに“行為責任”という考え方は大事である。いじめ研究の国際比較においても,日本は加害者の行為責任をとらえるという点において,極めていい加減であった。

今回の出来事の“行為責任”を確かに取らなければならない。しかし,高校生が“行為責任”を取るにあたって,今回の自主退学ということが“行為責任”を果たしたことになるのかどうか,あるいは未成年であることを考慮に入れた場合,今回の責任の果たし方がどうだったのかについては議論の余地が残る。

学校を辞めれば責任が果たされるのだろうか?

責任を取るということについて私がいつも思い出すのは,故・灰谷健次郎の詩「チューインガムひとつ」である。

責任を果たすということは,自分の行為によって迷惑をかけた人々の想いを背負って生きる,ということだ。

政治家とか企業の経営者の真似が,常に正しい責任の取り方ではないことを肝に銘じておく必要がある。

|

エンタは“お笑い”を破壊した。

“エンタの神様”なる番組がある。

私は若かりし頃,舞台俳優を志望していて,アマチュアの劇団に所属していた。

そこでどういうわけだか3枚目の役をやることが多く,いわゆるネタづくりに精を出していた。

だから,といってはなんだが,視聴者という視点プラス,作り手という視点も無意識のうちに入り込んでしまう。

そこで“エンタ”の批評をする。

結論を先にいうと,あれでは芸人が育たない。

経験からいうと,大抵の芸人さんは売れたがっている。そして,私が現役でいたときもメジャーになりたかった人は多かったが,今はさらにさらに多くなっている。

その上,大抵の芸人さんはビンボーで,私の友人たちは工事現場の旗振りをしながら芝居を続けていた。

つまり,“売れる”とは“食える”ということで,マズローの欲求階層を引き合いに出すまでもなく,人間としてのベーシックな欲求に近いものがあるのだ。

しかし,“エンタ”が示した売れるためのモデルは,2分間という尺(しゃく)に収まるキャラだけの,芸と呼ぶには程遠いものだった。

このモデルについて,私は2点問題があると考えている。

1点目は,売れたい芸人たちが一発芸に走るということである。

これはプロだかアマだかの境目が無いほど,最近の芸が大学のコンパネタみたいな“子ども騙し”になっていることによって示される。

小島よしおはその典型である。

ある一定の時間的な長さを持つ“話芸”を磨くよりも,2分で視聴者にインパクトを与える瞬間芸を磨くことの方が“売れる”ためには有効であるから,笑いの文化としては質が確実に落ちる。

2つ目の問題点は,テレビが持つモデリング効果である。言い換えれば,子どもに「こういうのが“面白い”っていうことなんだよ~」という教育効果である。

かつて小室哲哉が“小室ファミリー”などという一群の人々を形成していた頃,青少年の中に小室的な音楽が刷り込まれていって,小室が曲を出せば必ず売れるという現象を生み出していたことと比較される。

これは小室哲哉と坂本龍一の対談の中で,坂本龍一の娘が小室フリークになってしまったことを坂本が述べていた。

“面白い”=“エンタ”という刷り込みが子どもの間に起こっていることは,子どもの臨床に関わるものとしての実感としてある。

だから余計に恐ろしく思うのである。

ここまで書くと,「ただ単に,お前がエンタを面白くないと思っているだけなんちゃうん?」と思われると嫌なので明らかにしておくが,思わず笑ってしまうこともある。(滅多にないけど…)

それよりも,今挙げた2つの問題点を憂えてしまうのは私だけだろうか…。

|

ボーナスGet!!

今日は国家公務員のボーナス支給日である。

確かに昨年よりやや多めである。ありがたやありがたや…。

しかし,納得いかないのが,公務員はバブルの時に銀行屋さんとか證券屋さんほどサラリーをもらえなかったにも関わらず,不景気になったら彼らと一緒に給料が減ったことである。

これは公務員なら誰しもが持つ共通認識だと思うので,公務員同志のために声を大にして叫んでおこう。

公務員はもらいすぎてないぞ~~~~!!(京○市など親戚を無茶苦茶殺して忌引きをしまくっているような“困ったさん”を除く)

まぁ,括弧書きしたような“困ったさん”は確かにいるんだけれども,ほとんどの公務員は真面目に仕事をしている。逆に聞きたいのだが,民間企業の方々が公務員をどうこういうほど真面目に仕事してますかぁ?

公務員は税金で働いているじゃないか,と言われる人がいるけれども,それならば例えば大阪市の公務員の不祥事を他市の市民が批判する根拠はなんであろうか?

平たくいえば他市の市民が余計なお世話をしているにすぎない。

余談だが,公立学校の教員(県費負担教職員)は半分を地方自治体,もう半分を国が給料を払っているから,この“税金を払っているのだから…”の理屈でいえば大いに批判していいことになる。

話を戻すと,“公務員の給料は我々の血税なんだから…”の理屈でいうと,何らかの料金を払っている店や会社に対しても同じような眼差しを向けなくては不公平である。

思うに,公務員に対するマイナスの感情が根底に流れていて,不祥事が発生すると鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てて,公務員のイメージや信用を必要以上に引き下げようという悪意に他ならない。

確かに,防衛省のように国を防衛してんだか,自分の省を防衛してるんだかというイメージを持たれている省もある。しかし,その防衛省ですら9割以上は真面目に国のために働いている…と思う。上(昇進)ばかり見ている人もいるかもしれないが,それが結果としていい仕事をすることで国益に適っていればいいのだから,無碍に批判すべき代物ではない。

ともかく,大抵の公務員は真面目であり,民間企業と同じような割合で“困ったさん”がいるというだけなのであるから,公務員全般を必要以上にディスカウントする必要はないのである。

だから,ボーナスは労働に対する正当な報酬なのである。

納税者のみなさん,また頑張ります。

|

上から読んでも“まさこさま”。下から読んでも“まさこさま”。

今日は雅子様の44歳のお誕生日である。

おめでとうございます!!

私は雅子様フリークでもアンチでもないが,お誕生日は無条件におめでたいのである。

フリークとかアンチとか下種なことを書いたが,暇なバカ主婦が雅子様派V.S.紀子様派などに分かれてネットで中傷し合っているらしい。インターネットの匿名性が生んだクズ現象である。

皇室の方々の生活は部分的にしかわからないが,その限られた情報から判断しても大変なお仕事である。私はウヨクでもサヨクでもないが,皇室の方々には敬意を払っている。

様々な歴史があるけれども,そこには生身の人間が生活しているわけであり,明らかに不自然なシチュエーションの中で生活することを余儀なくされている。

スケジュールにしたって好むと好まざるとにかかわらず,しなければならない,しかも良くできて当然で失敗すれば大事(おおごと)という連続である。

そこら辺に思いを致さないで,ああでもないこうでもないとケチをつけている人間のなんと多いことか・・・。

そりゃぁ,うつにだってアルコール依存症にだってなるだろうさ。それについて個々の方々を責められないよなぁ~。

雅子様の主治医は日本における認知行動療法の第一人者,大野裕先生である。

この先生は認知行動療法を始めたベックの下で直々に学んだすんごい人である。

だからきっと素晴らしい治療がなされているんだろうけど,一番の困難は雅子様のストレスの原因(ストレッサー)である,皇室という環境から離れられない点である。

皇太子様だって精神的には穏やかではないだろうなぁ~

好きな人を愛すれば愛するほど,不幸な状況になってしまうんだもんな~

皇室の方々には「ホント,ご苦労様です…」の一言に尽きる。

雅子様,寬仁親王様が早くお元気になられることをお祈りいたします。

|

吸引力の落ちない掃除機,ダイソンの真実

2,3年前だったか,嫁さんが買え買え言うので,“吸引力の落ちない唯一の掃除機”ダイソンDyson(スペル?)を購入した。

確かに吸い取る吸い取る。普段,掃除機などかけない私も面白がってかけたものだ。

ただ大きな落とし穴があった。

そう,吸引力が強いということは,排出する空気の勢いも強い,ということだ。

だから,掃除機の本体が近づくと,吸い取る前に床の埃をむちゃくちゃな勢いで巻き上げてしまう。

そこで考えた私は本体を左手で持って掃除機をかけたのだが,手が疲れて最後までそんな体勢を続けることはできなかった。

私がかなり小さかった頃の通販で,掃除機の“延長ホース”なるものが売っていた。これは,掃除機の吹き出し口,つまり本体を外に出して長い長いホースでもって掃除することで,吸い取った埃を部屋の中に撒き散らさないという商品である。

最近はどこにも売っていないから,たぶん実用的ではなかったのだろう。

事情は少し違うが,ダイソンも同じように埃を巻き上げないために本体を屋外に出す必要があるなぁ,と思う。

笑えるのは,排気フィルターが特許かなんかとっていて,いたってクリーンであることを主張しているのだが,巻き上げる埃はマックスにダーティーなのである。

|

ノロウイルスに罹っちまった…

嫁さんが真夜中にトイレにダッシュして行った。

“ウサギ小屋”とも称される我が家では,寝室のお隣が厠(かわや)なのでありまして,嫁さんの切ない声がビンビンと寝室に聞こえてくるわけであります。(ここで興奮しないように…)

まあ,強いて言えば中川家の弟のネタで新幹線(700系だったか忘れた)のトイレが流れる音みたいのが,途切れ途切れに聞こえてくるわけだ。

愛妻家の私は朝方まで背中をさすり,あまりの吐きっぷりに尋常じゃないものを感じて総合病院の急患へ飛び込む。

寝ている乳飲み子をたたき起こして,着替えさせてベビーシートに括りつけた。

行ってみたら研修医が震える手で点滴の針を打つので,愛妻家の私は怖がる嫁さんの手を握り締めていた(そういやぁ,出産の時以来だな。こういうシチュエーション…)。

結局そこでは訳がわからず,産婦人科へ行くと「風邪ですね」などと言われて嫁さんは寝続けた。

その夜,私は高熱を出した。だが,驚異の回復力で夜中のうちに36度まで下げた。しかし…である。下痢がとまらない。(あ,ご飯中の人,すんません)

「女の子ってこんなふうにおしっこするんやろうな~」

なんていう感慨に浸るほど,さらっとした下痢だった。

下痢は2日間続いた。

そして次の朝,息子が飲んだ母乳を全部吐き出した。

小児科にダッシュしたら「ノロウイルスですね」と医者に言われて点滴を打たれる。

話は変わるが,下痢&嘔吐の時の水分補給の話。

一番いいのは大塚製薬から出ている“OS-1(オーエスワン)”である。この飲み物の性能は医学的に証明されている。

だが,ビンボー人にはやや高めである。平均して500mlのペットで180円である。

花王のヘルシアくらいの値段であろうか。

そこで知り合いの小児科医に教えてもらった,安価な下痢・嘔吐の時の水分補給液の作り方を教えておこう。

①ポカリスエット(アクエリアスでも可)…500ml

②白湯(さゆ)…500ml

③食塩…小さじ半分

お試しあれ。まぁ,そういうわけで,今,息子が下痢下痢しているわけである。

ノロウイルスは空気でも感染するうえ,アルコール消毒では死なない。

カラーブライトみたいな塩素系の消毒液を噴霧するのが正しい。

これからノロの季節であるから,注意をするといいだろう。

|

ある消防署の風景

消防署なんていうのは火事とか急病とか,あるいは団地の役員で防火管理者になってしまった運の悪い人くらいしかお世話にならないところで,実際のところ普段はどんなことをしているのかはよく分からない役所ではある。

私は職場である役割に就いたときに,頻繁に消防署に行かなければならなくなったときがあった。

込み入った申請なので消防署の中まで入っていく機会があり,いやがおうにも彼らの仕事風景が目に入る。

私は目を疑った。

なんと彼らは携帯を片手にメールを打っている。それも一人や二人じゃない。

朝の通勤電車で座席に腰掛けた人々がうつろな目でメールを打っているような…そう,あれである。

しかも私のような部外者が居るにもかかわらず,一向に動じる気配が無い。

まぁ,確かにすべての消防署がそのようではないだろう。

それに火事とか急病とかがなければ大抵の職員は暇なのかも知れない。

しかし,部外者が居るのにそんな姿をさらさなくったっていいじゃないか。

同じ公務員で,しかも私以上の給料をもらっているんだから…。

地方公務員法の“職務専念義務違反”などと言ってみたくなる。

まぁ,だからって市役所とかにクレームメールをするほどではないのだが…,似たようなもんか…。

言いたいことは,まぁ世の中杓子定規ではいかんということだ。

いちいち目くじらを立てていると体に悪い。

そんな適当な世の中の絶妙のバランスで世の中は回っているんだなぁ~,という諦観とでも言おうか。

そういう心持ちでないと心を病んでしまう世の中なのである。

自殺者数が3万人という数字は尋常じゃないですね。

世の中には期待もしてはいけないが,悲観もしてはいけないのである。

まぁ,そんなもんだろう…ってことである。

|

鳥の糞が教えてくれた大切なこと

今朝,車に乗ろうとしていると,フロントグラスにでかい鳥の糞がついていた。

嫌だったけれど,運転には差し支えないので,そのままで職場まで行った。

帰ってきて流石に気になったので,布でクリーンしていると(ちょっと“ルー語”変換),車検証が目に入った。

「12月か…ああ,今月で車検が切れるんやな…」

買い物へ行くので再び運転席に座ると,車検証の裏側に不思議なことが書いてある。

“平成18年12月26日までに点検を受けてください”

「ああ,そうか剥がし忘れたんだな…」

買い物を終わって家に帰ってきて,もう一度車検証を見て愕然とする。

「平成18年12月って去年やないかぁぁぁ!」

恥ずかしながら車検を約1年間も切らしたまま公道を走っていたことになる。

慌ててディーラーに電話する。

「よく1年間も気づきませんでしたね」

「そうっすね…」

そういうわけだから,これからディーラーがやってきて牽引かなんかしていくのだろう。

念のために自賠責保険を調べたら,やっぱり切れていた。

これで警察につかまったら減点は12点で,90日間の免許停止,罰金は最悪25万円になっていたところだった。

鳥の糞が教えてくれた大切なこと。

それは車検が1年近く切れていたことだった。

| | コメント (0)

アホな市民意識

吉野家の“テラ豚丼”とかケンタッキーの“ゴキブリ揚げ”とか,相手にしなければいいような他愛のないことを,わざわざ会社にクレームを言う人ってどんな人なのだろう。

こんなくだらないことが騒動になってニュースになるのは,この社会がいかに程度が低いかを示している。

これらに見られる程度の低さは,国会中継を見ていても感じられる。

私は民主党の支持者だが,ここ最近の国会中継をみていて民主党の質問があまりに程度が低すぎてあきれてしまう。

面倒くさいので詳細は書かないが,あんな議論(と呼ぶレベルではないが…)に税金を巻き上げられているのかと思うと腹が立ってしょうがない。

さりとて自民党も似たり寄ったりなので,任せられる責任政党などというものはこの国に存在しないと思う。

私の父がよく言うのだが,「この国民にしてこの政治家なのだよ…」と。

昔は良かったなんて全く思わないが,いろんな意味でポストモダンは“規制緩和”したのだけれど,どこかで再構築していかないといかんなぁ,と思う。

アホな市民による暇つぶしのクレームと,クレームに振り回される企業&役所。

このパターンを変えたいところですね。

| | コメント (0)

« 2007年11月 | トップページ | 2008年2月 »