12月14日16時1分配信の毎日新聞に次のような記事がある。
飲酒運転をしたとして昨年7月に懲戒免職処分を受けた県立高の元男性教諭が「処分は重すぎる」として、県に処分の取り消しを求める訴えを佐賀地裁に起こしていたことが13日、分かった。
彼の言い分は,アルコールの検出量が少ないのと,事故を起こしていないことを論拠にしている。
私はそんなのは往生際が悪すぎると思う。
検出量云々ではなくて,アルコールを口にしてハンドルを握ること自体がご法度だ。
県の規定で飲酒運転は無条件で厳罰というのは,佐賀に限ったことではない。全国的な“常識”である。
代行が呼べないほど田舎なのだという言い訳も,言い訳にならない。そんなのは飲み会を開く前からわかることである。
ただ公務員が飲酒運転でクビなのは当然という悪意に満ちた風潮には断固として反対したい。
それは私が公務員の一員であるという感情的な側面もある。
しかし,それ以上に,悪者探し&叩きをしても何の進歩もないからである。
家族療法に限らず,社会構造主義を踏まえたセラピーでは当然の考え方で,直線的な因果律だけでは問題は解決しないのである。
この悪者探し&叩きに見られる直線的な思考は実に短絡的な思考に基づいており,事態を単純化して考える無邪気な思考の最たるものである。
「こんな教師が~」という批判がYahoo!のクリックサーチのコメントに散見されるが,これも無意味な批判である。
話は飛ぶが,教育問題の原因に教師の資質の低下をもってくる方が多いが,これもなんの根拠もない“印象”で語られた批判である。
昔だって教え子に手を出したりする不届きなセンセイはいた。
だから別にどうってことはないんだ,と言いたい訳ではない。
ただその教師叩きという単純な行為が,“風が吹けば桶屋が儲かる”的な円環的な作用が生じていて,多くの人はその行為の行き着く結果に気づかない。
しかもその行為を嗜癖(アディクション)的にやめることができない。
それは権威を引き摺り下ろす快感とか,勧善懲悪的な正義感を伴なっているからかもしれない。
いじめもそうであるが,表面的な正しさを持っていると,行為の残忍性に気づかないでエスカレートしてしまう。
マスコミの“食品偽装会社叩き”がいい例である。
一部の不届きな公務員を公務員の体質,あるいは公務員の全体と決め付けて,彼ら(私たち)を傷つけることで,自尊感情は低下するし,新たなストレッサー(ストレスの原因)を生むし,結果として公務員の仕事の質が低下して,国民・住民へのサービスが低下する。
教師に限っていえば,教師の権威を引き摺り下ろすことで子どもが言うことを聞かなくなって(つまり子どもへの影響が低下して),教育効果は確実に低下する。そして子どもの学力が低下する。
学力が低下すると子どもは学校が面白くないから,友だちをいじめたり陥れたりして暇つぶしをするようになる。
そうすると教室の雰囲気が悪くなるから,デリケートな子どもは学校へ行かなくなる。学校へ行かなくなると,家にいるしかないから,そのうち引きこもりになる。
ひきこもりになると暇になるから,ろくでもないことをするようになる。また,社会から遠ざかっている分,人と関わる力がつかないので,大検とかをとって社会に復帰しても仕事が長く続かなかったりして,再びひきこもったりする。
などという決め付けはまったくの誤りであるが,部分的に頷けるところもあるだろう。
マスメディアの発達によって今まで知られていなかった全国の問題教師が,社会に広く知れ渡ったという事実がある。
それによって大多数の真面目でひたむきな教師まで,問題教師たちと同じレベルにまでディスカウントしてしまったことで,結果としてそのマイナス効果は自分達(社会一般)にも降りかかっていることに気づくべきなのである。
すべての物事には原因と結果があるわけではない。
無数の要因が複雑に絡み合って,相互作用して成り立っている。
そのもつれた糸を単純に挟みでぶった切るようなものの考え方は,危険だし意味がない。
電磁石を作るときには,冷静に丁寧にコイルを巻くに限る。一度こんがらかったら焦らず丁寧に,根気よくほぐすしかない。
いらいらしてしまったら,余計に事態は悪くなるものである。
話があさっての方へ進んでいるので戻す。
ともかく,飲んだら乗るな。飲酒運転で何人が悲しい思いをしているのだ。
公務員に限らず民間企業ですら飲酒運転はクビの時代。
佐賀の元先生,教師としてとか,公務員としてとかではなくて,人間として恥ずかしいから提訴を取り下げてください。